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経営者が信頼するバックオフィスの仕事の習慣~察し力~

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「察する」難しさとその理由

経営者が好む社員の傾向の一つに「察しのいい人」「勘のいい人」という特徴があります。

「自分が指示を出す前に、さっと気づいて対応してくれる人」
「自分が二言三言言っただけで、自分の言いたいことを全部理解できている人」

経営者が信頼する社員、一緒にいて居心地がいい社員というのはこのような傾向があります。

しかし反対に社員の立場からすると、事はそう簡単ではありません。たとえば経営者から「ねえ、あの件どうなった?」と聞かれたら、社員の心の声はきっとこうでしょう。「えっ…あの件ってどの件?4つくらいあるのだけれど」。そしてその中からきっとこの件のことかな」と察して喋り出すと「その件じゃなくてさ…」と言われてしまう。

あいまいな言い方をされ、かといって何度も聞き返すわけにもいかず、結局自分で咀嚼して判断した結果が「そうじゃなくて…」と言われた経験は誰にでもあるのではないでしょうか。

日本には「察し」の文化があり、言葉数が少なければ少ないほどグッドコミュニケーションだととらえる傾向があります。しかしこれにはある「前提条件」が必要になります。それは「長期間、同じ前提条件の人達が同じ環境で生活や仕事などを共に過ごしている」ということです。

「察し」という文化も、日本が島国で、しかも鎖国の時代もあったことから、外部の民族や文化が入りにくい時代が長かったからこそ、言葉がなくても察することが徐々にできるようになってきたわけです。たとえば皆さんも、家族や友人など、親しい間柄であればあるほど「あれ持ってきてくれない?」「あいつは今日何をしている?」というような会話が成立することも多いのではないでしょうか。

当たり前の「文化」から重宝される「技術」となった「察し力」

日本の会社の場合も、長らく年功序列、終身雇用制が守られてきたので、「察し」の文化を受け継ぐことができたわけです。

たとえば社長や上司が「あれが…」と言ったのを、新入社員が後からこっそり「先輩、社長がおっしゃっていた『あれ』って、何のことですか」と一つ上の先輩に聞き、先輩が「月初の朝礼で社長が言う『あれ』っていうのは、売上の速報値のことだよ」と教えてあげられたわけです。

ところが今ではそのような「仕組み」は多くの会社では今や崩壊しているはずです。

その理由の一つとして、転職という行為そのものが一般的になったことが挙げられると思います。

それにより、まず社内の人材の動きが流動的になりました。たとえば自分の上司のほうが、自分よりも社歴が浅いということも今や当たり前です。社歴の浅い上司が忙しそうしにしている部下に、今何をやっているのかと聞いたら「毎年この時期のあれをやっているんです」と答えられても、意味がわからないわけです。「あれ」というような指示代名詞や「社内語」「隠語」を社内で伝承できた終身雇用や年功序列の仕組みが崩れてしまうと、そうした「その会社でしか通じない言葉」をあえて使うより、「毎年この時期の源泉徴収票の準備をしているんです」というように、最初から発話する側が直接的かつ具体的な言葉を使ったほうが「早くて効率的で間違いがなく、1回で会話が済む」時代に既になっているのです。

そもそも日本以外の地域、たとえば多民族国家の国や地域、また国際機関的な組織体などでは、より多く発話するほうがグッドコミュニケーションととらえる傾向があります。これは、そもそもその人達の人種や宗教など「ルーツ」が違うことも当たり前ですから「私は宗教上、こういう行為はNGですのでしないで頂けますか」など、初対面の時に、お互いの「共通でない事項」を伝え合っておいたほうが、誤解を与えたり、相手を傷つけてしまったりする行為を防ぎ、そちらのほうがコミュニケーション上も「効率的」だからです。このように考えると、日本というのは、いかに共通項がお互いに多い特殊な環境であるということがわかると思います。

先日ある会社を訪問した際に、上司が部下を指導しているところに出くわしました。

その時に上司が「なんで私が今、君に怒っているかと言うとね…」と自分が怒っている理由を事細かく部下に説明をしていました。その様子を見て、「客観的に説明できている時点で、既に怒ってないのでは…」と内心思ったのですが、とても気になり、後日、その上司の方に聞いてみたのです。すると、「私だって面倒ですよ。でもこうした方が1回で済むんですよ」ということでした。

昔はただ一言「だめじゃないか」と指導していても相手が何をダメ出しされているのかを察してくれていたのが、だんだんとそうではなくなり、相手が『(上司は)ただ機嫌が悪くて八つ当たりで自分に怒っているんだ』と、なぜ指導をされているのか理解できていないことが非常に増えたので、察しの文化をやめ、具体的に細かく言うように変えた、ということでした。しかしそのお陰もあってか、その会社は業績も好調ですし、若い人達にも人気の企業となっています。

この事例を引き合いにして、経営者や管理職、上司の方達には、コミュニケーションをとるときは、具体的に発話、指示をしたほうがいいですよ、と啓蒙しているのですが、特に経営者の方は、本音を言えば「察してほしい」人が多いと思います。やることも指示を出すこともたくさんありますから、そこまで細かく指示を出す時間が物理的に足りないからです。

だからこそ、私は「察し」という文化は、昔は誰にでもできたものが、今や「技術」になったと考えています。察することのできる人の価値が昔より上がったということです。察しができる人は、それだけで経営者から見ると「とてもありがたい存在」になっているはずです。

興味を持つことが「察し」への第一歩

察して行動するということは、経営者のしていること、考えていることに「興味」を持てば、それほど難しいことではありません。

一口に経営者といっても、性格も経営に対する考え方も千差万別です。
「結果にだけはとてもこだわるけれど、それ以外のことはあまり気にしない」という方もいれば、「とにかく一つひとつ目の前のことが自分で納得しない限り、次に進めない」という方もいます。前者の経営者が「あの資料」と言えば、おそらく多くの確率で「結果」に関する内容であることでしょうし、後者の経営者が「この資料」と言えば、おそらく資料を見て何か疑問が残る、あるいは腑に落ちないことがあったのかな、と私なら推測した上で「どうされましたか」と経営者の前に向かうと思います。受け手はそれだけでも印象が大分変わるのです。「あ、その件ですよね」という顔と、「何のことですか」という顔では、経営者がどちらの意見を聞いてみたいか、言うまでもありません。

このような時代だからこそあえて「察し」のテクニックを使うことで、経営者から見て「他の人よりなぜか一緒に仕事がしやすい人」「いてくれないと困る人」と認識してもらうことができるはずです。

筆者プロフィール

前田 康二郎(まえだ こうじろう)

流創株式会社代表取締役。エイベックスなど数社で管理業務全般に従事し、サニーサイドアップでは経理部長として株式上場を達成。その後中国・深センでの駐在業務の後、独立。現在は利益改善、コンプライアンス改善、社風改善の社員研修、コンサルティング、講演、執筆活動などを行っている。著書に『メンターになる人、老害になる人。』(クロスメディア・パブリッシング)、『社長になる人のための経理とお金のキホン』(日経BP 日本経済新聞出版)、他多数。

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