新規CTA

更新日:

数字の良い会社には「敬意」がある非財務情報を経理視点で読み解く第12回 一人の経理社員がもたらした敬意

meo230201_img01_pc.jpg
meo230201_img01_sp.jpg

敬意ある人との出会い

敬意をテーマとした連載も今回が最終回となりました。なぜ今回、敬意というテーマを選んだのか、その理由の一つにAさんという経理社員との出会いがあります。今日はそのお話をさせてください。Aさんとの出会いは、とあるスタートアップ企業でした。私はその会社から依頼を受けて「フリーランスの経理部長」として、その会社の事務員と二人で経理業務を行っていました。ある日、出社すると事務員が荷物をまとめているので「どうしたんですか?」と尋ねると「すみません、私、今日で辞めさせていただきます。お世話になりました」と会社を出て行き、そのまま辞めてしまいました。その会社には数日おきに出社していたのですが私が不在の日に人間関係のトラブルがあったようでした。

私は人事担当者に「仕訳入力などはしばらく私が代行できても、日々の振込や納付など日常的な出納をする人が必要だから、経理未経験でも私が1から教えますので、とにかく人柄がいい人を至急探してください」と依頼をしました。「とはいっても、人柄がいい人というのが一番難しいんですけどね…」と皆でため息をついていたら、その会話を聞いていた秘書の人が「あ、私、一人心当たりがあります」と名乗り出てくれました。前職で一緒に働いていた人で、経理は未経験だけど、人柄はいいので一度会社に来てもらいましょう、ということになりました。それがAさんでした。

私と役員とでAさんを面接させていただき、紹介してくれた秘書の人の言う通り、笑顔ではきはき質問にも答えてくれ、「経理未経験なのが不安ですが、教えていただけるということなら頑張ります」ということですぐ採用が決まり、翌週から出社してもらいました。「借方とは」というところから1から私がAさんに経理処理を教えましたが、最近の会計ソフトは機能が充実していますので、1カ月後にはAさんは月次決算の手前くらいまでは仕訳入力もできるようになっていました。

来る人来る人を「褒め続け、励まし続けた」

私もようやく「やれやれ」と落ち着いたころ、Aさんと隣同士で仕事をしていて、ふとあることに気付きました。Aさんは、経費精算や支払請求書などを持ってくる社員一人ひとりに、必ずポジティブな言葉をかけていました。「素敵な柄のシャツですね」「そのアクセサリーかわいいね」「今日は髪型がビシッと決まってますね」「〇〇さんの笑顔にいつも癒されます」。来る人来る人の良いところを見つけてはそれをきっかけにスモールトークをして、そして来た人が笑顔で仕事に戻っていく、そのようなことをAさんはしていました。それを見て私は、「面倒見のいい人なんだなあ」と眺めていました。

そんなある日、私とAさんが経費精算のチェックで下を向きながら集中して作業をしていると、何やら人のいる気配がしました。二人同時にふっと顔を見上げると、機嫌の悪そうな表情のBさんが無言で立っていました。そして経費精算の資料を無言でAさんに突き出していました。どうやらその直前に、現場での打ち合わせで嫌なことがあったらしく、その勢いのまま経費精算を提出しに来たようでした。いつもなら来た人に対して大喜利のごとく反射的に「〇〇さん、今日も□□が素敵ですね」と0.1秒後には話しかけるAさんが、初めて「あっ…」と2秒くらい固まったのが隣にいた私にも感じ取れました。

私達の机の向こう側に無言で不機嫌に仁王立ちしているBさん。Bさんの下半身は机に隠れて上半身しか見えず、身に着けているものは白いシャツと黄色と茶色の中間色のようなジャケットだけ。時計やネクタイもつけていません。しかも夜だったので髪型も少し乱れて表情も険しい。いつものAさんなら、足元や時計、ネクタイ、アクセサリー、表情、髪型など「褒めポイントリスト」から瞬時に褒め言葉を紡ぎ出すのですが、今回ばかりは褒める要素が私からみるとありません。何より下手に声をかけて余計に怒らせてしまうかもしれません。私は心の中で「さすがのAさんも今回ばかりは褒める言葉がないだろうから、どうするのだろう。そのままお疲れ様です、とだけ言って経費精算を受け取るのかな」と、横目で見ていました。

するとAさん、2秒固まった後、さらっとこう言ったのです。「Bさんお疲れ様です。あっ、その山吹色のジャケット、Bさんのお肌の色とマッチしてとてもお似合いですね」。それを言われたBさん、直前まで蒸気が出るのが見えるほど不機嫌だったのがスッと冷めていくのがわかりました。Bさんは「そんなことないですよ。でもありがとう」と、恥ずかしそうに照れて、経費精算お願いします、と言って席に戻っていかれました。その時私は、「Aさんは、人を褒めるということを気分でやっていたのではなくて、自分の使命としてやっていたんだな」と気が付きました。そうでない限り、その状況で褒める言葉は普通出てこないと思いました。私はそのことに感激してしまい、Bさんが立ち去った後にすぐに「Aさん天才!だって『山吹色』なんて、小学校の絵具で使って以来、言葉で口に出したこともないですよ。でも確かにあのジャケットは山吹色だった!毎日人を褒めている人じゃないと絶対に出てこない」とAさんに興奮して喋りかけていました。あまりに私が興奮しているので「ちょっと落ち着いてください」と言われてしましたが、私が「でも、さすがのAさんも今回は褒めるポイントを探すのが難しかったんじゃないですか」と聞いたら「ふふ」と笑っていました。

私がAさんと机を並べて、一緒に仕事をしていたのは2年間ほどでしたが、Aさんは、自分のもとに提出物や質問に来る人全員に、毎日そのように声掛けをしていました。言葉では簡単に書けますが、なかなかできないことです。もし私が同じことをしなさいと言われたら、普段はできても、あまりにも忙しかったらそのような余裕はないと思いますし、自分が不機嫌な時だったら人を褒める気持ちにもなれないと思います。Aさんは自分が忙しかったり仕事で嫌なことがあったりした時も、それでも自分のところに来た現場の人には敬意を持ってポジティブな言葉をかけ続けていました。

そんなAさんが、先日病気で亡くなったという知らせを受けました。

葬儀の斎場は、その職場からも片道4時間位かかるところでしたが、社長をはじめ、現場の社員の方達、そしてその会社を既に辞めて別の会社に転職していった元社員の人達も有休休暇をとって多くの人が駆けつけました。もちろん山吹色のジャケットを褒められたBさんもいました。私はそれを見てAさんにたくさん言葉で褒めて励ましてもらった人達がここに集まったのだなと思いました。肉体はなくなっても、Aさんの「言葉」というのはずっと人の心に残り続けるのだと思いました。

たった一人の経理社員でも「敬意」で「ヒト」や「会社」を変える力がある

AさんはCFOでも経理部長でもなく、一人の経理社員でした。ですが、「社長からアルバイト社員まで、そして管理部門から現場部門まで、『全員』と仕事上、請求書や領収書などで繋がっている」という経理の特性を活かして、Aさんが使命としていた「褒める・励ます」という「敬意」を会社全体に浸透させました。だからこそ、経理社員はスキルも大切ですが人間性も非常に大切なのです。これが逆に自分のもとに経費精算を出しに来る人来る人に会社や社長の悪口や自分の愚痴をまき散らしていたらどうなるでしょう。たちまち会社全体が不信感でいっぱいになり、連動して数字も下がることでしょう。一人の経理社員の言動で、会社を良くできる可能性もあり、悪くもできてしまう危険性もあるのです。皆さんの職場でも「敬意」について話し合っていただけたら嬉しいです。それによって敬意のある行動が会社全体に育まれ、その結果は財務情報に連動していくことと思います。

筆者プロフィール

前田 康二郎(まえだ こうじろう)

流創株式会社代表取締役。エイベックスなど数社で管理業務全般に従事し、サニーサイドアップでは経理部長として株式上場を達成。その後中国・深センでの駐在業務の後、独立。現在は利益改善、コンプライアンス改善、社風改善の社員研修、コンサルティング、講演、執筆活動などを行っている。著書に『メンターになる人、老害になる人。』(クロスメディア・パブリッシング)、『社長になる人のための経理とお金のキホン』(日経BP 日本経済新聞出版)、他多数。

前田 康二郎 氏 連載記事

新規CTA

※本記事の内容についての個別のお問い合わせは承っておりません。予めご了承ください。