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休憩だけじゃもったいない!おもしろ系サービスエリア/パーキングエリアの旅 「新東名高速道路・長篠(ながしの)設楽原(したらがはら)パーキングエリア」

更新日:2025/09/04

最近の高速道路のサービスエリアやパーキングエリアには、その土地の歴史や特徴を施設や展示に盛り込んだ、テーマパークを思わせるものがあります。新東名高速道路の長篠設楽原パーキングエリアはその代表格。戦国時代の合戦場近くという立地を活かした、訪れる者を歴史絵巻の中へと誘う異空間のような施設です。

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下り線のセンターハウスには、織田信長の家紋、織田木瓜の陣幕がかかる

戦国時代を代表する合戦の舞台が望めるパーキングエリア

愛知県の新城インターチェンジと岡崎東インターチェンジの間に位置する長篠設楽原パーキングエリアのセンターハウスは、上下線ともに切妻屋根の和風の作りです。建物入り口には、下り線側に織田木瓜と呼ばれる織田信長の家紋が、上り線側では武田信玄の家紋である武田菱が染め抜かれた陣幕があしらわれ、施設内のフードコートやコンビニなどのいたるところに、徳川家の三つ葉葵を交えたそれぞれの家紋入りののぼり旗や家具、絵巻の壁画などが配されています。

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上り線のセンターハウスは、武田菱の陣幕を掲げる武田勝頼軍の陣地をイメージ

 

館内のショーケースには本物の火縄銃や刀剣、鎧兜が飾られていて、売店では火縄銃と刀剣のレプリカも販売されています。さらに他では絶対に見かけない、「裸ではりつけにされた武将」が描かれたクリアファイルがお土産として売られていることに驚く人も珍しくないとか。それらすべてが、このパーキングエリアの立地に由来しています。

戦国時代の天正3(1575)年5月1日、現在のパーキングエリアの東方3㎞ほどのところにあった長篠城に、甲州を治める武田信玄の息子、勝頼が率いる1万5000人の大軍勢が攻め込みました。城主の奥平貞昌は味方であった織田信長・徳川家康の連合軍に応援を依頼。下り線側のパーキングエリア敷地から望める丘に本陣を築いた3万8000人の織田・徳川軍は、鉄砲隊と馬防柵を巧みに使って武田軍を圧倒し、信長の天下統一への歩みを決定づけたのです。5月21日にあったこの合戦は、長篠の戦い、または長篠・設楽原の戦いと呼ばれています。

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下り線の敷地からは、織田信長軍の本陣跡が望める

 

「裸ではりつけにされた武将」は、この時、応援を依頼するためにこの地から徳川家康の城があった岡崎まで走り、帰途に武田軍に捕らえられて「応援は来ないから降伏せよ」と籠城隊に言えば命は救ってやると言われながら、「応援が来るから持ちこたえよ」と叫んではりつけにされた奥平家家臣にして地域の英雄、鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)です。

そうした史実を踏まえて、新東名高速道路の浜松いなさジャンクションから豊田東ジャンクションまでが開通した2016年2月13日に開業したこのパーキングエリアは、計画段階から「設楽原・戦国パビリオン」というコンセプトが定められ、ここにしかない戦国体験を提供する唯一無二の空間を目指して建設されたといいます。

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館内には自治体の協力も得て火縄銃や刀剣、戦国絵巻などが展示されている

 

地元の新城市もその取り組みに賛同し、年に一度入れ替えられる火縄銃などの展示物を提供。地域団体の「設楽原をまもる会」の手で敷地内に織田軍の馬防柵が復元設置されるなど、町おこしの一環としてもパーキングエリアが機能しています。

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フードコートのパーテーションも野戦陣地の馬防柵を思わせるデザイン

 

2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の中で長篠の戦いと鳥居強右衛門のエピソードが放映された後には、てきめん来場者が増えたそうです。ふだんから、戦国を意識した建物や展示を興味深そうに撮影していく観光客やインバウンド客も多いとのこと。歴史好きはもちろんのこと、大人の社会科見学や子供の自由研究の入り口としても、わざわざ足を運ぶ価値のある施設ではないでしょうか。

 

写真提供・NEXCO中日本(中日本エクシス)
 

長篠設楽原パーキングエリアHP

・下り線:https://sapa.c-nexco.co.jp/sapa?sapainfoid=210
・上り線:https://sapa.c-nexco.co.jp/sapa?sapainfoid=209
 

この記事の執筆者
横田 晃(よこた あきら)
ライター 

アニメーション雑誌を皮切りに、自動車雑誌や男性誌の編集者として多くの新雑誌やヒット企画の立ち上げに参画。94 年に独立後も、芸能インタビューから政治経済まで、幅広いジャンルの企画・制作・執筆に携わる。